2020年6月2日火曜日

暴動について

命からがら、オレゴン州ユージンからサンフランシスコまでやってきた。なぜ「生命からがら」だったのかは、少し時間をおいてから書きたい。とにかく時間が必要だ。いま言えるのは、自分が感じている孤立感、疎外感はきっと理解されないだろうという絶望というのがあるということ、それを救ってくれたのは、マンションの掃除とゴミ捨ての仕事をしてた男だということだけだ。ダンという男の名は一生忘れないだろう。そして、彼の「君がこれ以上お金を払うのは、見ていられない」と言ったときの声を。この経験を語るには、時間が必要だ。そして物語が必要だ。

サンフランシスコに着くと、各地で暴動が起きた。ミネソタで起きたポリスによる黒人のジョージ・フロイド圧殺事件の余波だ。CNNはミネソタをはじめ、ニューヨークからサンタモニカまで拡がるプロテストを報道している。

フライトまで3日ほどの余裕があったので、最後にゴールデンゲートプリッジでも拝んでおこうかと思ったが夜間のcurfew(外出禁止令)が出ていたのであきらめた。空港近くのウェスティンはふだんなら手の届かないような金額だろうが、今は1泊1万円。なかなか快適である。空港近くのダウンタウン、ミルビレーまでUberで行って、US Bankで車売却のお金の換金、ウェストユニオンでネブラスカでの敷金返金分のチェックの換金をする必要があった。また、Wi-Fi解約に伴うルーターの返却のため、UPSへ立ち寄る必要があった。なにしろ、各施設の開店時間がまちまちで、ウェブサイトで確認していっても閉店していることがよくある。今回も、わざわざUberで向かったのに、閉まっていた、という無駄足が数度あった。しかし、ドストエフスキーがかつて言ったように、人間はあらゆる環境に慣れてしまうものだ。でた、でた、またか。出直そう、くらいで済んでしまう。

人間、どんな苦境であっても腹は減る。ここ数日、生き死にの問題がお金の問題となり、ようやく、昼メシの問題にまで軽くなってきた。昼に何食べるかね?とスマホを検索する幸せを感じた。

ミルビレーのダウンタウンの少し外れたところに、「馬車道」という日本食レストランを見つけた。もう日本に帰るんだから、アメリカンでも良かったような気もするが、やはり心が不安なのだろう、アメリカでの日本食を優越感をもちながら、「なかなかやるじゃん」といいながら、食べたかったのだ。

店先でテイクアウト待ちをしていると、同じく注文を待っていたアジア系の男性と話す機会があった。お互いソーシャルディスタンシングをしていたのだが、彼はこちらを気にかける素振りを何度かしてくれて、彼の注文はとったのかい?みたいなことを店員さんに言ってくれてたようで、明らかにナイスな人だったので、声をかけてみた。

「各地で暴動、なんだかすごいことになってるね」

「まあ、こんなのしょっちゅうだけどね」ヴェトナム系2世だという彼は言った。50歳くらいの男でキャップとマスクを身につけている、「もちろん、人種差別には反対だけも、暴れちゃダメだ、暴力はいけない、そこにあったはずの大義は失われてしまう」

しばらく、意見交換をした。彼のより僕の注文が先に出てきた。その紙袋をグラブすると、彼に名前をきいた。マイケルと言った。

もちろん、ぼくはマイケルの意見に賛成だ。だけど、だれにも理解されないだろうという絶望感に押し潰されそうになったばかりのぼくは、少し複雑な気持ちだった。各地で暴動が起きる、そのエネルギーを羨ましくも思った。テレビに映る人々は白人と黒人であり、アジア系はほとんどいなかった。ぼくに家族と所属がなければ、その暴動に飛びこんでいきたい、そのくらいの気持ちはあった。

しかし、警官も仕事として鎮圧をしている。彼らにも家族がある。オレゴンでの命の恩人、ダンは白人だった。プロテスターたちがもつプラカードに「沈黙する白人は暴力的だ」という内容があった。でも、沈黙する自由もあるはずだ。プロテストか人種差別主義者か、という二項対立をアメリカはいまだに生きている。ぼくは沈黙しながら、人種差別に抗議する方法を考えていた。