2014年12月6日土曜日

アメリカ文学と第一次世界大戦

アメリカ文学会関西支部大会フォーラム「第一次世界大戦とアメリカ文学ー戦争、作品、作家の力学」に参加中。4人の講師がモダニズム作家と第一次世界大戦との接点について15分ずつ概説したうえで、フロアに問題提起をし、15分の休憩後に質問用紙を回収するという流れ。各講師の問題提起は以下のとおり。

(三杉圭子先生)ドスパソスが目指した明確な仕事において、戦争は何を意味をするのか。
(高野泰志先生)ヘミングウェイの描く不眠症は何を意味しているのか。
(上西哲雄先生)なぜフィッツジェラルドはいつまでもWWIに触れ続けるのか。それも回想の形をとってまで。
(松原陽子先生)フォークナーは南北戦争の記憶をどのように継承し、彼のWWIの描き方にどのように影響したのか。

各講師の先生方がそれぞれ後半に、フロアからの質問への回答を含め込む形でプレゼンされた。高野さんと上西さんの論考がとりわけ刺激的で、関西まで足を運んだ甲斐があったというものだ。これらの問題提起は引き続き、自らの宿題として再読のきっかけにしたい。


仕事を抱えてきたので、即退校してスタバで小一時間メール処理の後、懸案の原稿へ。電車酔いが続いていたが、わりと集中できた。しかし、まだまだ気が抜けない日が続く。明日はフィッツジェラルド協会の大会に出席。

2014年11月11日火曜日

930番の本棚

あなたは大学病院の受付で待っている。

あなたの番号があの電光掲示板に映し出されるまで。あなたのポケットに受付番号の書かれたしわがれた紙が入っている。その番号をあなたは知らない。番号を知らないまま、掲示板を見ている。赤色と青色の番号とがあり、たまに点滅する番号が出てくる。その点滅は危篤を表しているのではないかと不安になって胸が苦しくなる。

930という番号が表示された。ふいにあなたは立ち上がる。あなたは呼ばれている。間違いなく、930という番号はあなたの番号だ。あなたは掲示板を背にして、受付とは反対のほうへ歩き出した。

930という番号が点滅している。