2015年3月28日土曜日

アメリカ文学会東京支部3月例会


2015年3月28日(土)慶應義塾大学三田キャンパス。

佐久間みかよ先生の研究発表「トランセンデンタリストとアメリカン・スタディーズ再考 ――エマソンのレクチャーを中心に」を拝聴。 エマソンとメルヴィルを中心としたtranscendentalism研究において、堅実な実証研究を積み重ねておられる佐久間先生らしく、緻密な分析が光る発表であった。

エマソンのレクチャーこそよく知られているが、アメリカ文学における牧師による説教の伝統は強調してもしすぎることはない。その点を出発点として論は展開する。超越主義という考えは無論コールリッジらの英国ロマン派を経由したドイツ観念論を源泉とするが、より厳密にはFrederic Henry Hedge (1805-90) に遡って規定されねばならない、と示唆される。このHedgeを検索すると、このページに突き当たった。
From 1836 Hedge's visits to Boston from his new home in Bangor, Maine occasioned the gathering of what Emerson called the "Hedge Club" but was more commonly called the "Transcendental Club." 

ついつい簡略化しすぎて超越主義はエマソンを嚆矢とすると論述してしまうが注意せねばならない。さらにこの引用できになるのが、Bangor, Maine という地名である。この地名はThoreauがThe Maine Woodsの起点にしていた場所であり、1850年代当時のメイン州の状況を調査するのも面白いかもしれない。

ご研究内容の肝は、出版文化がボストンからニューヨークへと移りゆく過渡期を背景に注目した点であろう。この過渡期と"Young American"(1844)というエマソンのレクチャーとの呼応関係が興味深い。ニューヨークの地下鉄が整備されつつあり、交通の要所となっていき、ボストンは伝統を固守するという、ニューイングランド内においてアメリカと英国の関係性の縮図のような様相を示しているとの指摘は興味深い。都市の発明が小説成立の根拠のひとつになったと指摘する高野泰志「都市の欲望─ ポーの推理小説に見られるのぞき見の視線」[『九州英文学』31 (2014): 73-80 ]も合わせて参照すると19世紀出版文化が立体的に理解されるだろう。

エマソンやフラーのみならず、その他の超越主義者たちのゆるやかな交友関係を描き出す、まさしく碩学の研究発表であり、早く論文なり書籍の形で手にとりたい。僕の博士論文第1章の骨子はThoreauはエマソンと英国文化の双方向からの「影響の不安」(H. Bloom)のなかで執筆していて、結果として失敗した詩人となったが、詩を論ずる副産物から生まれた散文作品Walden は全体として一つの秀逸な「詩論」として成立したと論じるものであった。その意味では、エマソンと英国ないしはヨーロッパとの関係を「二つの」影響とひとくくりに呼んでしまうのは、大雑把すぎたのだろう。エマソンやその他のヨーロッパ帰りの知識人の言葉をソローはどのような思いで受け取っていたのか、という観点で再考してみたい。 いつもながらthought-provokingなご論考に深く感謝したい。


ところで、はじの方の目立たない場所に座っていたら、たまたま目の前にちょこっと座った方があった。立教大学退職後お目にかかっていなかった千石英世先生であった。うれしい偶然。

その後16時より、一橋大学院生の笠根唯さんのご発表で僕は司会をさせていただいた。ご発表は、ハーマン・メルヴィルのThe Confidence-Manにおける“Surly”という語のオクシモロニックな様態が、これまでのコスモポリタニズム観にたいして転覆的な力を及ぼしているという内容であった。アメリカ文学における帝国をめぐっては、僕自身とても興味のある内容なので、ヨーロッパ思想との関連でメルヴィル研究を続けている笠根さんの今後には注目していきたい。