2018年9月15日土曜日

稲垣伸一『スピリチュアル国家アメリカ 「見えざるもの」に依存する超大国の行方』

稲垣伸一『スピリチュアル国家アメリカ 「見えざるもの」に依存する超大国の行方』(河出書房新社)2018年、読了。

本書は、アメリカの「スピリチュアリズム」の起源を19世紀半ばに定め、そうした心的な動きが当時の社会運動やジェンダー意識を変容させたと論じる。南北戦争前後のアメリカの激動は、主に奴隷解放運動や女性解放運動と結びつけられて説明されるが、本書はそれらに通底する思想としてスピリチュアリズムを掲げる。無論、アメリカの神秘主義はキリスト教信仰復興運動との関連で説明されてきた研究的文脈はすでにあるが、本書は、スピリチュアリズムを必ずしも宗教の枠組みにとどまらない心的な作用と考えている点において、すぐれて独自な方向性を打ち出している。

本書の美点はいくつもあり、たとえば、スピリチュアリズムがいかに現在のアメリカを規定しているかという、多くの読者の関心に沿っている点や、スピリチュアリズムが女性に対する見方をはじめとするジェンダーバイアスを強化すると同時に、解放への方途をも示している点などが挙げられる。

ぼくにとって本書の美点は、著者の「スピリチュアル」な現象を報告するときの距離感—好奇心や懐疑ではなく、共感を抑制しつつ敬意と驚異を維持する態度—である。たとえば第2章では、スピリチュアリズムの源流には、「人々が日常的に向かい合わなければならない『死』」(63)の哀しみを、非日常的なものに接続して納得しようとする近親者の心理があることを文学作品を通じて論述している。理解を超える理不尽なものと同居しながら生きねばならない人間にとって、それらを納得して生きるには、非科学的とおぼしき現象を実証科学として説明しようという動きが現れるし(70-79)、「可視化」して納得したいというという動きとも連動する(81-83)。

スピリチュアリズムの動きのさなかにある、これらの人々の心性は、稲垣氏にとって、得体の知れない、怪しい現象というよりも、より日常的な、人間のふつうの心理に寄り添うものである。不条理を納得したい、人生の意味をなんらかの方法で形にしたいという人々の切実な心理を(抑制の効いた筆致で)描きだしている。この点が本書の美点のひとつであるとぼくは思う。こうした個人の切実さが、社会運動の切実さとシンクロするのは不思議ではない。

本書の大半は「国外研修中」(272)に準備されたという。2015年1月アメリカ文学会東京支部での研究発表「“A False and Unnatural Relation”フーリエ主義ネットワークの結婚制度批判とThe Scarlet Letter」は、ホーソーンをめぐるかなりまとまったアメリカ文化論になっていて、深く感銘をうけたことをはっきりと覚えているが、その土台をこのような碩学が支えていたのか、と納得した次第である。本書は19世紀半ばの文学・文化を研究する人はもちろん、アメリカという大国の現在を考えるうえで必携であることは疑いない。